「さっき言ったばかりなのに、もう忘れてる…」 「お片付けの途中で、違う遊びを始めてしまう」 「忘れ物が多くて、毎朝ガミガミ言ってしまう」子育てをしていると、こうした悩みにぶつかることはありませんか?
つい「うちの子は集中力がないのかな」「やる気がないのかしら」と心配になったり、イライラしてしまったりすることもあるかもしれません。
しかし、これらの行動の背景には、単なる性格ややる気の問題ではなく、「ワーキングメモリ」という脳の働きが関係している可能性があります。
ワーキングメモリは、子どもたちの学習や生活のあらゆる場面を支える、非常に重要な認知機能です。この「脳のメモ帳」とも言えるワーキングメモリの仕組みを理解すると、お子さんの行動の「なぜ?」が見えてきて、関わり方のヒントが見つかるかもしれません。
この記事では子どもの発達の専門家として、できるだけ分かりやすく解説していきます。
ワーキングメモリとは?
ワーキングメモリは、専門的には「情報を一時的に保持し、同時に処理するための脳の機能」と定義されます。
そうは言っても、定義が少し難しいですよね。もっと身近なものに例えるなら、「脳のメモ帳」や「頭の中の作業台(デスク)」のようなものです。
私たちは何か作業をするとき、机の上に資料や道具を広げますよね。そして、それらを使いながら作業を進め、終わったら片付けます。
ワーキングメモリもこれと似ていて、会話をしたり、勉強したり、何か行動したりするときに、必要な情報を一時的に頭の中に広げて、それを探し出しながら(処理しながら)使っているのです。
短期記憶との決定的な違い
よく「短期記憶」と混同されがちですが、ワーキングメモリは少し違います。
短期記憶(Short-Term Memory)
情報をただ保持するだけの貯蔵庫のようなものです。
例えば、電話番号を聞いて、電話をかけるまで一時的に覚えておくような働きです。
ワーキングメモリ(Working Memory)
短期記憶が貯蔵庫なら、ワーキングメモリは情報を保持しながら、それを積極的に使う(処理・操作する)作業場になります。
例えば、買い物の途中で「卵と牛乳と…あと何だっけ?そうだ、お醤油が切れそうだったから、特売の棚を見に行こう」と、記憶した情報(買うべきもの)と新しい情報(特売品)を組み合わせ、次に行うべき行動を考えるような働きです。
つまりワーキングメモリは、情報を覚えているだけでなく、その情報を活用して「考える」「判断する」「行動する」という、より能動的な役割を担っているのです。
この「保持」と「処理」を同時に行う能力こそが、子どもたちの学びや成長の根幹を支えています。
学習と生活のあらゆる場面で活躍するワーキングメモリ
では、この「脳のメモ帳」は、具体的にどのような場面で使われているのでしょうか。実は、私たちが思う以上に、ワーキングメモリは日常生活の隅々で活躍しています。
学習場面での活躍例
- 国語:文章を読み進めながら、前の文の内容を覚えておき、話の筋を理解する。登場人物の関係性を頭に描きながら物語を読む。
- 算数:筆算で、繰り上がりの数を覚えておきながら次の計算を進める。文章問題を読んで、どの数字を使ってどんな式を立てるか考える。
- 授業全般:先生の話を聞きながら、大切な部分をノートに書き出す。教科書の○ページを開いて、線が引いてあるところを読む。
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生活場面での活躍例
- コミュニケーション:相手の話を聞き、内容を理解し、それに対して自分が何を言うかを考える。
- 行動の計画:「おもちゃを箱にしまって、絵本を棚に戻して、それから歯を磨こう」といった一連の行動の段取りを考え、実行する。
- 感情のコントロール:カッとなったときに、「ここで怒鳴ったらどうなるか」を予測し、グッとこらえて別の言葉を探す。
このように、ワーキングメモリは「学習の土台」であり、「社会で生きる力」の基礎とも言えるのです。
この働きが弱いと、「話を聞いていないように見える」「すぐに集中が途切れる」「段取りが悪い」「感情の切り替えが苦手」といった困りごとにつながることが、多くの研究で指摘されています。
ワーキングメモリを鍛える方法は、こちらの記事で詳しく解説しています。
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ワーキングメモリの仕組み:脳の中の4つの専門家
私たちの「脳のメモ帳」は、実は一つの機能ではなく、複数の専門家からなるチームで成り立っています。
最も有名なモデルとして、イギリスの心理学者アラン・バドリー博士が提唱した「複数成分モデル」があります。
少し難しいので、ここでは4人の専門家に例えて、それぞれの役割を分かりやすくご紹介します。
1. 音韻ループ:耳のメモ帳担当
「音韻(おいん)ループ」は、言葉や音の情報を一時的に記憶しておく専門家です。
私たちが聞いた言葉を、頭の中で無意識に繰り返す(リハーサルする)ことで、情報が消えないように保持しています。
活躍する場面
- 先生からの「教科書を閉じてください」という指示を覚えておく。
- 電話番号や人の名前を、忘れないように頭の中で繰り返す。
- 文章を読んでいて、知らない単語の音を一時的に覚えておく。
- 英語のリスニングで、聞こえてきた単語を保持しながら文全体の意味を理解する。
子どもが口頭での指示を覚えられなかったり、聞き間違いが多かったりする場合、この「耳のメモ帳」の働きが関係しているかもしれません。
2. 視空間スケッチパッド:目のメモ帳担当
「視空間スケッチパッド」は、目から入ってきた映像や、空間的な位置関係の情報を一時的に記憶しておく専門家です。頭の中にイメージを思い浮かべる働きを担っています。
活躍する場面
- 地図を見て、目的地までの道のりを頭の中に思い描く。
- 黒板に書かれた漢字の形を覚えて、ノートに書き写す。
- 図形問題で、図形を頭の中で回転させたり、組み合わせたりする。
- サッカーの試合で、味方や相手の位置を把握してパスを出す場所を考える。
図形を写すのが苦手だったり、空間認識が難しいと感じたりする場合、この「目のメモ帳」が関係している可能性があります。
3. 中央実行系:司令塔・監督担当
「中央実行系」は、ワーキングメモリのチーム全体の司令塔です。
音韻ループ(耳のメモ帳)と視空間スケッチパッド(目のメモ帳)という2人の部下に指示を出し、チーム全体の働きを調整・管理する重要な役割を担っています。
注意のコントロールや、情報の取捨選択、計画の立案、判断など、高度な思考を司っどています。
活躍する場面
- 騒がしい教室の中で、先生の声だけに注意を向ける。
- 算数の文章問題を解くときに、「どの情報が必要で、どの情報は不要か」を判断する。
- 「耳のメモ帳」で覚えた指示と、「目のメモ帳」で見た状況を組み合わせて、次に行うべき行動を決める。
- ゲームのルールを理解し、戦略を立てる。
集中力が続かなかったり、計画的に物事を進めるのが苦手だったり、注意が散漫になりがちだったりする場合、この「司令塔」の働きがまだ発達の途中であると考えられます。
この機能は、脳の前頭前野という部分と深く関連しており、思春期にかけてゆっくりと成熟していきます。
4. エピソードバッファ:統合役・編集担当
「エピソードバッファ」は、後からチームに追加された比較的新しいメンバーです。
この専門家は、耳や目から入ってきた情報と、もともと私たちが持っている長期記憶(昔の記憶や知識)を結びつけて、一つのまとまった「エピソード」として一時的に保存する役割を担っています。
活躍する場面
- 物語を読んで、文章から登場人物の姿や情景をイメージし、自分の経験(長期記憶)と結びつけて感情移入する。
- 映画を観ながら、登場人物のセリフや行動、背景などを統合してストーリーを理解する。
この統合役がいるからこそ、私たちは断片的な情報をつなぎ合わせ、世界を意味のあるまとまりとして理解することができるのです。
これら4人の専門家がチームとして連携することで、私たちの高度な思考や学習は支えられています。
お子さんの行動を観察するとき、「今はどの専門家が頑張っているのかな?」「どの専門家のサポートが必要かな?」と考えてみると、新たな発見があるかもしれません。
まとめ
今回は子どもの発達を支える重要な脳の機能「ワーキングメモリ」について、その概要と種類を解説しました。
- ワーキングメモリは、情報を一時的に記憶しながら処理する「脳のメモ帳」。
- 学習、コミュニケーション、行動計画など、生活のあらゆる場面で活躍する重要な土台。
- ワーキングメモリは、「耳のメモ帳」「目のメモ帳」「司令塔」「統合役」という4つの専門家チームで成り立つ。
お子さんの「できないこと」や「苦手なこと」の背景に、ワーキングメモリの特性が隠れていることは少なくありません。そのことを理解するだけで、保護者や支援者の方々の心持ちは大きく変わるはずです。
「どうしてできないの!」と叱るのではなく、「たくさんの情報を一度に覚えるのは大変だよね。一つずつやってみようか」と、脳の働きに寄り添ったサポートができるようになります。
参考文献
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- Gathercole, S. E., Pickering, S. J., Ambridge, B., & Wearing, H. (2004). The Structure of Working Memory From 4 to 15 Years of Age. Developmental Psychology, 40(2), 177–190.
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- 湯澤正通 (2011). ワーキングメモリの発達と学習支援. LD研究, 20(1), 16-22.
- 大井雄平:知的障害児・者のワーキングメモリー現状と展開ー特殊教育学研究,60(4)245-254,2003
- 室橋春光:読みとワーキングメモリー : 「学習障害」研究と認知科学.LD研究, 18(3), 251-260.子ども発達臨床研究 2017 第9号
- 土田幸男:ワーキングメモリと学習方法の関連性.子ども発達臨床研究, 9, 47-55