給食の前、保育室から手洗い場までの短い廊下。
「お部屋の中は歩こうね」
先生の声に、その子はぴたりと止まります。振り返って、こくんとうなずいて、ゆっくり歩き出す。ちゃんと伝わった次の瞬間には、もう走っている。
この場面は、3歳のクラスでも、五歳のクラスでも、まったく同じように起こります。「さっき言ったばかりなのに」「何回言ったら分かるの」。そう感じるのは、当たり前のことです。
今回は何度伝えても室内を走ってしまうお子さんの頭の中がどうなっているのか?実際の現場をよくみて思ったこと、考えていることをわかりやすく解説します。
「走らない」は、いくつもの力が必要
大人から見ると、「走らないでと言われたら歩けばいい」。それだけの話に見えます。
ところが、この数秒の間に、脳の中ではいくつもの仕事が同時に走っています。
- 先生の言葉を覚えておく。
- 今が室内だと気づく。
- 走りたい気持ちが湧く。
- それにブレーキをかける。
- 歩く動きに切り替える。
- その状態を保ち続ける。
このどれか一つが間に合わないだけでも、外からは同じ「また走った」に見えてしまうんです。
そしてこれらの力は、ある日いきなり手に入るものではありません。少しずつ、順番に育っていくので、気長に対応していくしかないんです。
こんな順番で成長していきます
はじめに育つのは、ルールをことばとして覚える段階です。「お部屋では歩く」と聞いて、その意味が分かる。年少さんのころに、少しずつ入っていきます。
次が、言われた直後なら止まれる段階。大人の声がブレーキの代わりになって、その場では歩ける。
その先が、ルールを持ち続ける段階です。注意されたあとも、「今は歩く時間」を頭の片すみに置いておける。ここが育ちきっていないと、注意された直後は歩けるのに、数秒後にはまた走る、ということが起こります。
さらに難しいのが、まわりに誘われても、自分で止まる段階。友達が走り出す、面白い声が聞こえる。そのときに、湧いてきた「行きたい」を自分の力で押しとどめる力です。
療育の現場に携わると、この周りに引っ張られてしまうお子さんも少なくありません。走らなくても、食事中に離席したら、一緒に席を立ってしまうなどよくある光景です。
そして、モードを切り替える力。走って遊んでいた状態から、歩く状態へ、自分で乗り換える。
最後に育つのが、自分で自分に言い聞かせる力です。「ここは歩くんだった」と、心の中でつぶやいて、自分にブレーキをかける。
ここに挙げた成長の過程には、とても大きな個人差があります。実際に下の年代でもしっかり守れている子もいれば、上の年代なのに全く守れない場合も少なくありません。
脳の「ブレーキ役」は、いちばん最後に育ちます
ここからは、少しだけ脳の話をさせてください。
走り出しそうになったカラダを止めるとき、脳では前頭前野(おでこの奥にある領域)が働きます。
この場所が動き出そうとする反応にブレーキをかける役割を担っていることが分かっています。
ただブレーキは、単独では働きません。脳の奥の構造につながる回路全体が、一つのブレーキ装置として動きます。
しかもこの装置には、完全に止める急ブレーキと、いったん減速して様子を見る「ちょっと待て」の2段階があると考えられています(Aron, Robbins & Poldrack, 2014)。
遅れて育つ場所
問題は、この装置の司令塔である前頭前野が、脳の中でいちばん遅れて仕上がる場所だということです。
4歳から21歳の子どもを追いかけて脳のMRI画像を撮り続けた研究では、大脳皮質の成熟が運動をつかさどる場所から始まって、じわじわと前へ進み、前頭前野が最後に完成することが示されています(Gogtay et al., 2004)。
つまり幼児期の子どもは、アクセルはもう十分に踏めるのに、ブレーキ装置の配線がまだ工事中なんです。
止まる気がないのではなく、止めるしくみがまだ完成していない。ここを取り違えると、注意の回数だけが増えていってしまいます。
「歩く」を支える3つの働き
脳のこうした働きは、まとめて実行機能と呼ばれます。自分の行動を自分で舵取りする力のことです。
研究の世界では、実行機能の中核は3つに整理されています。
3つの機能
-
湧いてきた反応を止める抑制
-
必要な情報を頭に置いておくワーキングメモリ
-
今のやり方から別のやり方へ乗り換える切り替え
この3つは互いに関係し合いながらも、それぞれ別の働きだということが確かめられています(Miyake et al., 2000/Diamond, 2013)。
もう一つの重要な特徴
ただし、幼児期にはもう一つ大事な特徴があります。
就学前の子どもでは、この3つがまだ独立して働いていません。3つをまとめて下から支えているのが「注意」で、注意がそれた瞬間に、3つとも一気に足元をすくわれます。
友達が笑った。棚の上のおもちゃが視界に入った。たったそれだけのことで、頭に置いてあったルールも、踏みかけていたブレーキも、効かなくなります。
大人の目には「いきなり走り出した」と映りますが、でも実際脳の中では、土台がほんの一瞬ずれただけ、走り出したということが起きているんです。
走ることで、自分を整えている場合もあります
もう一つ、理学療法士として気になる可能性があります。
走ると、揺れやスピードを感じ取る前庭覚、筋肉や関節から伝わる固有覚が、たっぷり脳に入ってきます。これらの感覚は、脳の覚醒レベル、頭のスイッチの入り具合を調整する働きに関わっています。
じっとしている時間が続くとぼんやりしてしまう子が、自分から動くことでスイッチを保とうとしている。走ることが、その子なりの調整方法になっている場合があるんです。
このときは「歩いて」とだけ伝えても、カラダのほうが納得しません。ルールを分かる分からないの、手前の話だからです。
ただし、走る子を見てすぐ「感覚が足りていないんだ」と当てはめるのは危険です。感覚を求めている子もいれば、不安が強くて動いていないと落ち着かない子もいますし、単純にその遊びが楽しいだけの子もいます。理由を一つに決めないことが、いちばん大事です。
見分けるための、4つの視点
同じ「何度言っても走る」でも、中身はまるで違います。だから、見分けるところから始まります。
私が現場でまず見るのは、次の4つです。
注意された直後は止まれるか。
止まれるなら、ルールの理解はあります。
止まれたあと、どのくらいで再開するか。
すぐにまた走るなら、ブレーキを踏み続けるところに負荷がかかっています。
走り出すのは、活動が切り替わる場面が多いか。
そこに偏るなら、必要なのは伝え方ではなく見通しです。
興奮しているときだけ走るのか、いつも走るのか。
いつもなら、覚醒や感覚の調整そのものを考えます。
この4つは、年少さんでも年長さんでも、同じように使えるので、ぜひこの視点をもって子供達を見てあげてください。
After Rehaより
私たちは宮崎で、保育園や療育施設に伺いながらお子さんの運動あそびのお手伝いをしています。
「何度言っても伝わらなくて」というご相談ほど、場面を分けてほどいていくと道すじが見えてくるものです。困ったときは、どうぞ気軽に声をかけてください。
またnoteの方ではより詳しく今回の記事を記載しています。現場でもっと、どうしたらいいのかを知りたい方は有料記事にはなりますが、ぜひ覗いてみてください。
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参考文献
- Miyake, A., Friedman, N. P., Emerson, M. J., Witzki, A. H., Howerter, A., & Wager, T. D. (2000). The unity and diversity of executive functions and their contributions to complex “frontal lobe” tasks: A latent variable analysis. Cognitive Psychology, 41(1), 49–100. https://doi.org/10.1006/cogp.1999.0734
- Garon, N., Bryson, S. E., & Smith, I. M. (2008). Executive function in preschoolers: A review using an integrative framework. Psychological Bulletin, 134(1), 31–60. https://doi.org/10.1037/0033-2909.134.1.31
- Best, J. R., & Miller, P. H. (2010). A developmental perspective on executive function. Child Development, 81(6), 1641–1660. https://doi.org/10.1111/j.1467-8624.2010.01499.x
- Diamond, A., & Lee, K. (2011). Interventions shown to aid executive function development in children 4 to 12 years old. Science, 333(6045), 959–964. https://doi.org/10.1126/science.1204529
- Diamond, A. (2013). Executive functions. Annual Review of Psychology, 64, 135–168. https://doi.org/10.1146/annurev-psych-113011-143750
- Aron, A. R., Robbins, T. W., & Poldrack, R. A. (2014). Inhibition and the right inferior frontal cortex: One decade on. Trends in Cognitive Sciences, 18(4), 177–185. https://doi.org/10.1016/j.tics.2013.12.003
- Gogtay, N., Giedd, J. N., Lusk, L., Hayashi, K. M., Greenstein, D., Vaituzis, A. C., Nugent, T. F., III, Herman, D. H., Clasen, L. S., Toga, A. W., Rapoport, J. L., & Thompson, P. M. (2004). Dynamic mapping of human cortical development during childhood through early adulthood. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 101(21), 8174–8179. https://doi.org/10.1073/pnas.0402680101